日本のサッカーファンであれば、セルティックFCと聞けば“あぁスコットランドリーグの名門チームね”とピンとくる方が多いかと思います。
このチームの名前を日本に広めたのは間違いなく中村俊輔選手(現横浜FC)でしょう。
この記事でも紹介する伝説のFKから15年、古橋享梧選手がその伝説を引き継ぎました。
中村選手がセルティックで創った伝説、古橋選手のセンセーショナルなデビュー、活躍の秘密、2人の関係性などを紹介していきます。
目次
中村俊輔の伝説・エピソード(セルティック時代)
中村選手はプレーで魅せ、サポーター、チームメイト、監督たちの信頼を勝ち取り伝説を作りました。
中村選手が最も世界の注目を集めたセルティック時代の伝説を紹介見ていきましょう。
マンチェスター・ユナイテッド戦で魅せた伝説のフリーキック
まず、セルティック時代の中村選手を語るうえで外せないのはチャンピオンズリーグのグループリーグ・マンチェスター戦の芸術的フリーキックでしょう。
2006-2007チャンピオンズリーグ、セルティックは初の決勝トーナメント進出に燃えていました。(前身の大会では優勝経験あり)
同リーグには宿敵でもあるイングランド勢の強豪マンチェスター・ユナイテッドもいました。
下馬評では断然マンチェスター・ユナイテッド有利。しかし、グループマンチェスター・ユナイテッドとの1戦目セルティックは食らいつきます。
負けはしましたが、2-3とマンチェスター・ユナイテッドを苦しめ、中村自身もフリーキック弾を決めます。
こちらのフリーキックでしたが、紹介するのは中村選手が次にネットを揺らしたゴールです。
グループリーグ5節、ホームにマンチェスター・ユナイテッドを迎え入れるまで2位につけていたセルティック。
ここでマンチェスターを叩けば一気にグループリーグ突破が見えてくるという状況で、セルティックイレブンのプレーは冴えわたります。
そして0-0で迎えた81分、セルティックはゴールまでおよそ30メートルの位置でフリーキックを獲得。
キッカーはもちろん中村俊輔。いつもの独特のフォームで左足を振りぬくと、ボールは壁の頭を超え、ゴール右隅へ。
名ゴールキーパー,ファン・デル・サールも反応し横っ飛びで対応しようとするが、ボールはゴール右上隅へ吸い込まれました。
ピッチは地鳴りのような大歓声に包まれこのゴールを祝福します。
この一連の光景は本当に芸術的で、今観ても鳥肌が立ち、胸の奥から熱い何かがこみ上げてきます。
大げさかもしれませんが、映画の超大作を観たような感覚に包まれるんです。
このゴールが決勝点となり、マンチェスター・ユナイテッドを下したセルティックは初のグループリーグ突破を果たしました。
このゴールは伝説となり、チャンピオンズリーグの“左足ゴラッソ特集”やスコットランド紙「デイリー・レコード」が選出する“スコットランドで決まった最高の一撃”などに度々選出され語り継がれています。
スコットランドのレジェンドとなった中村俊輔
中村俊輔の名前は十数年経った令和の時代でもスコットランドで語り継がれています。
イギリスメディア「デイリー・レコード」によって選出された「スコットランドリーグにおける21世紀のベストイレブン」に中村俊輔選手の名があります。
中村選手がスコットランドでプレーしたのは4シーズンと決して長かった訳ではありません。
しかし、選考理由で
このレフティがグラスゴーにいたのはたった4シーズンだったかもしれない。だがそれでもスコットランドのサッカー史に名を刻んだことは間違いない。
彼はレジェンドとしていまだに尊敬を集める存在となっている。
などと語られています。
「スコットランドサッカーに最も影響を与えた外国人」でもトップ10にランクインするなど、スコットランドのレジェンドとなっていると言って差し支えないでしょう。
チームメイトやサポーターに愛された人柄
中村選手のテクニックの高さはチームメイトの間でも評判でした。
ある雪の日のトレーニング中、ボールが滑り中村選手がボールをコントロールできないと、“彼がトラップできないなら、他に誰もできる奴はいない”という声があがるほどだったそうです。
中村選手が称えられるのは魔法のようなフリーキックや驚くようなテクニックだけではありません。
練習もストイックで、チーム練習後一人でもくもくとフリーキックの練習をこなしていたそうです。
また試合におけるカバー走行距離やスプリント回数では常にチームトップクラスの数字を記録しており、サッカーに対するストイックな姿、チームに対する献身的な姿でも信頼・敬意を集めていました。
サポーターにも丁寧な対応をして良好な関係を築いていました。
横浜FCの試合にセルティックサポーターが試合を見に来るなどいまだに応援してくれています。
チームから離れ10年以上経っても応援してくれているサポーターがいることからも中村選手がセルティックでどれだけ愛されていたかがわかりますね。
古橋享梧の衝撃的なセルティックデビュー
以上のような偉大な伝説を引き継ぎスコットランドへと渡った古橋享梧選手。
日本人ということで中村選手と比べられるプレッシャーもあったでしょうが、それを吹き飛ばすような大活躍でスタートダッシュを決めていますね。
本拠地デビュー戦でハットトリックを達成しその後も得点、アシストを重ね、移籍後7試合で6得点1アシストを記録しています。
ハットトリックを達成した週には全体3位の評価で週間ベストイレブン入りも果たしています。
サポーターからも“中村俊輔の再来”と言われ期待の声が大きくなっているようですね。
OB、監督からも信頼を勝ち取りつつあり、6億円の移籍金で獲得した古橋選手に直近2年で46億円の移籍金が必要となる選手になるだろうという声もあります。
移籍金で評価されると少し、リアルでゲスい感じもありますが、解り易いうえに最大級の称賛の言葉ですよね。
中村俊輔の伝説が古橋享梧の活躍に影響を与えた
さて、古橋選手がここまで活躍できた理由ですが、もちろん古橋選手の能力によるものが大きいのですが、少なからず中村俊輔選手の伝説的な活躍も影響しているのではと思っています。
古橋選手は裏への飛び出しに定評があり、ヴィッセル神戸在籍中にもイニエスタという世界的パサーに鍛えられ、そして認められていました。
現在のセルティックは細かいパスを繋ぐ戦術が目立ち、うまいパサーも多いです。
そんな環境で絶妙のタイミングでDFの裏を取ってくれる古橋選手がチームにはまったという印象を受けます。
それは紛れもなく古橋選手の実力ですが、セルティックの選手たちは移籍直後で、コミュニケーションも充分に取れていないはずの古橋選手に躊躇することなくどんどんパスを出してくれます。
個人的に、これは中村選手がセルティックで伝説を創り、日本人に対する信頼を勝ち取ってくれたことも影響していると感じています。
そして現セルティック監督のアンジェ・ポステコグルー監督(元横浜F・マリノス監督)は古橋選手の活躍の影響もあってか今後の日本人選手獲得の可能性も示唆しています。
日本人選手の活躍がさらに次の日本人選手の活躍の場を広げてくれるのは嬉しいですよね。
中村俊輔と古橋享梧の関係
古橋選手はJリーグ在籍時も試合の度に中村選手のもとへ挨拶へ行っていたようです。
そしてセルティック移籍が決まると連絡を取り合う仲になったそうです。
中村選手は「あまり力を入れすぎないで、楽しみながら自分のプレーをして」とアドバイスを送ったそうです。
もともと毎試合挨拶に行く関係だったのがセルティックの先輩、後輩になったことで仲が深まったようですね。
中村俊輔と古橋享梧のプロフィール
中村俊輔 | 古橋享梧 | |
所属 | 横浜FC | セルティックFC |
ポジション | MF | FW |
生年月日 | 1978年6月24日 | 1995年1月20日 |
利き足 | 左 | 右 |
国際Aマッチ | 98試合24得点 | 6試合3得点 |
チーム遍歴 | 横浜マリノス レッジーナ セルティック エスパニョール 横浜F・マリノス ジュビロ磐田 横浜FC | FC岐阜 ヴィッセル神戸 セルティックFC |
最後に
以上、『【サッカー】中村俊輔がスコットランドで作った伝説/伝説を引き継ぐ古橋享梧の活躍にも影響か/2人の関係』について紹介いたしました。
スコットランド・セルティックで伝説となった日本人とこれから伝説を創ろうとしている日本人。
この2人がともに現役としてプレーしていることも驚きですよね。
今後の新旧レジェンドの活躍にも期待したいですね。
最後まで読んで頂きありがとうございます。