久保建英選手は現在レアル・マドリードからの期限付き移籍でスペインのRCDマジョルカに所属するプロサッカー選手です。
9歳の頃にFCバルセロナの下部組織カンテラの入団テストに合格しスペインに渡ったことで一躍注目を集めます。
2019年には世界有数のビッグクラブ、スペインのレアル・マドリードに移籍したことで更なる注目を集めました。
この記事では久保建英選手の経歴やレアル・マドリード移籍の舞台裏などについて紹介していきます。
プロフィール
久保建英(くぼたけふさ)
- 所属:RCDマジョルカ
- ポジション:MF
- 出身地:神奈川県
- 生年月日:2001年6月4日
- 身長:173cm
- 体重:67kg
- 血液型:A型
- 利き足:左
目次
カンテラ入団前の経歴
久保選手がサッカーを始めたのは2004年3歳のころです。
父がコーチをしていた東京都稲城市の坂浜サッカークラブでサッカー人生をスタートさせます。
その後FCパーシモンに所属した後、小学校2年生の時に日本国内で毎年開催されており“MVPに選ばれればFCバルセロナと試合ができるチャンスが与えられる”FCバルセロナキャンプに参加します。
このキャンプでMVPを獲得した久保選手は2010年4月、FCバルセロナスクール選抜としてベルギーで開催されたソデクソ・ヨーロピアン・ルーサスカップに参加し、ここでもMVPを獲得するのです。
帰国後3年生になった久保選手は川崎フロンターレの下部組織に入団します。
そして2011年、4年生になるとU-12に所属し6年生とともにプレーすることとなります。
そしてこの2011年にFCバルセロナカンテラコーチであるオスカル・エルナンデス氏の推薦により、3週間のFCバルセロナの入団テストに参加、見事合格するのです。
FCバルセロナには13歳未満の選手はカタルーニャ出身の選手以外とは契約しないという内部規定があり、超特別扱いでの契約となりました。
そして母、弟とスペインに渡り、カンテラ選手全員が通う私立学校に通い、スペインでの生活をスタートさせました。
日本人に小学生が世界有数のビッグクラブのコーチに認められ、内部規定を破ってまでも契約したなんて本当に衝撃で、日本人サッカーファンからすると夢のような出来事ですよね。
カンテラ時代の経歴
カンテラ所属後も久保選手の活躍は衰えることなく、掟破りの契約という周囲からの大きな期待にこたえ続けていきます。
2012-13シーズンではリーグ戦30試合に出場し74得点という圧倒的な成績でリーグ得点王を獲得します。
平均すると1試合あたり2得点以上している計算になりますね。驚きの成績ですよね。
翌年の2013-14シーズンは、地中海カップU-12トーナメントに出場し、大会得点王とMVPを獲得、チームのリーグ優勝、カタルーニャ杯制覇にも貢献し、まさにエース級の活躍を魅せます。
そして、2014-15シーズンに久保選手の世代の1つ上のカテゴリーであるインファンティルAというチームに昇格し、さらなる飛躍が期待されます。
しかし、ここで思ってもみない出来事が…。
バルセロナは18歳未満の外国人選手獲得・登録にあたり違反を犯し、久保選手の1年半以上の公式戦出場停止の処分を受けてしまいます。
久保選手は帰国し、日本でプレーすることを決断しました。
帰国後からレアル・マドリード移籍の舞台裏まで
帰国後、久保選手はFC東京の下部組織に入団します。
バルセロナ退団の無念を吹き飛ばすように、久保選手の活躍は続きます。
2016年には3歳年上のカテゴリーである、U-18に昇格します。
部活動で、考えてみてください。中学3年生が高校3年生と一緒にプレーするなんて考えられませんよね。
しかも、そこでただわたり合うだけではないんです。
日本クラブユースサッカー選手権に出場すると、大会史上初の中学生での得点王(5得点)に輝くのです。
その年の11月にはJ3でJリーグ最年少出場記録を更新、2017年には15歳10ヶ月11日でJリーグ最年少得点を更新します。(J1に限ると最年少出場、得点ともに森本貴幸選手)
そして日本代表でも常に上のカテゴリーでプレーしてきましたが、2019年6月9日のキリンカップ・対エルサルバドル戦でA代表デビューを果たします。
この時久保選手は18歳と5日、市川大佑選手に次ぐ2番目の若さでのA代表デビューとなりました。
しかし、当時FC東京では出場機会に恵まれず2018年6月に横浜・F・マリノスに期限付き移籍をすることになります。
横浜・F・マリノスでは出場機会も増え、J1初アシスト、初得点(歴代2位の若さ)も記録します。
2019年にはFC東京へ復帰、成長した姿を見せつけレギュラーとして活躍し始めます。
そして同年6月14日、チームがリーグ首位を走る中、レアル・マドリードへの移籍が発表されます。
実は久保選手とFC東京との契約は18歳の誕生日までとなっていたのです。
18歳になれば、年齢制限に関係なく海外チームでもプレーすることができるので、久保選手がいち早く海外でチャレンジできるようにこのような異例の契約となったのだそうです。
久保選手はFC東京のチーム状況や自身の成長の実感から残留も考えましたが最終的にはレアル・マドリード移籍を決断しました。
さて、ここである疑問が生じますよね?“なぜバルサではなくレアル?”
バルセロナの下部組織カンテラでこれ以上ない活躍を魅せていた久保選手をなぜバルセロナは獲得できなかったのでしょうか。
それはFCバルセロナが久保選手との契約を金銭面を理由に躊躇したからです。
そんななかレアルマドリードは久保選手の要求する条件をすんなりのんでくれました。
こうして、レアルマドリード久保建英は誕生したのです。
久保選手にはFCバルセロナが金銭的に渋ったことを公開させるほどの活躍を魅せてもらいたいですね。
RCDマジョルカへの期限付き移籍
レアルマドリードへ移籍した久保選手はプレシーズン中、トップチームに帯同していました。
そこでも物おじしないプレーを見せつけ高い評価を得ました。
レアル・マドリードの2軍チームであるカスティーリャで経験を積み、トップ昇格を狙う案もありましたが、少しでもレベルの高いところでのプレーを求め1部リーグのマジョルカへの期限付き移籍を決断しました。
またこの決断をした理由にレアルマドリード率いるジダン監督の好みも関係しています。
ジダン監督は未知数の若手の起用より、実績のある選手を好んで起用する傾向があるのです。
移籍先のマジョルカでは新型コロナウイルスの影響によるリーグ中断までに24試合に出場し3得点3アシストを記録しています。
移籍当初はコンディションや連携などの問題もあり、苦戦することもありましたが、中断前にはチームの中心となる活躍をみせています。
そして気になるのは久保選手の次シーズンの去就です。
現在、パリ・サンジェルマン、ACミランといったビッグクラブが獲得を狙っているとの噂もあります。
マジョルカでの残留を望む声もあります。
もちろんレアル・マドリード復帰の可能性もあります。
これまで、どんな状況下でも素晴らしい活躍をみせてくれている久保選手ですが、やはりビッグクラブでの活躍を早く見せてほしいですよね。
まとめ
以上、久保建英選手の経歴について紹介しました。
日本人選手の海外での挑戦する機会も増えてきましたが、久保選手に対する期待は別格でしょう。
まだ若い久保建英選手のこれからの活躍に期待せずにはいられません。
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